
観音寺
kannonji
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観音寺について
・由来・
今から約八百五十年ほどまえ、那智山の滝で苦行された文覚上人が、その後、牟婁地方をまわられたとき、一夜の夢に霊感をおぼえて岩屋山に立寄られ、そして、大岩窟に念持仏の聖観世音像をおまつりしました。これが当寺のはじまりとつたえられています。
それよりは、仏徳高い厄除け寺として、ひとびとの信仰ををあつめてきましたが、昔小栗判官兼次が、観音霊夢によるお護りをうけたと語りつがれていることなどによっても、古くから熊野信仰につながる霊場として広く世に知られていたことがうかがわれます。
今もなお"岩屋山"の名で親まれ健康長寿や交通安全、学芸成就を願ってお詣りするひとびとがあとをたちません。
特に、ひき岩群に設けられた新西国三十三番霊場をめぐれば、その眺めは絶景かつ雄大であり、大自然の静けさと
霊気ただよう寺院として感慨そぞる深いものがあります。
・行事・
初午祭り(旧初午の日) 厄除け 諸願成就祈禱
・高山寺とのつながり・
高山寺の末寺であり、天正年間豊臣勢による熊野侵攻の際には、高山寺の尊像をここに移して災禍をまぬがれましたが、太平洋戦争末期にも、万一をかんがえて再度の避難地となるなど、両寺の縁はことのほかふかく今日にいたっています。
・長寿の寺・
歴代住職は長寿で、参詣すれば健康長寿が授かるといわれ、別名長寿寺をもよばれています。
本堂の左側には「長寿地蔵」さんがまつられています。
・文人の往来・
岩屋山やひき岩群、動鳴気狭の景勝をたたえた詩文や画筆が多くのこされています。
松瀬青々 加賀萎文 など
・岩屋山御詠歌・
(近西国第二十七番霊場)寂莫の苔の下水流れいで 真如の月に浮かぶ石山